第三章-ゴスペルにおけるレコード

3 ゴスペルにおけるレコード

3.1 ゴスペルの特徴

第二章と同様に、まずゴスペルとはどういう音楽であるか、ということに関して論じてみたい。
既に序章で述べたように、ゴスペルという言葉は、福音という意味を持つ。このことから、ゴスペルがキリスト教と深い関係があることは、容易に想像できる。しかし、キリスト教と関係のある音楽といっても、そのような音楽は、他にも色々な種類が存在する。その代表例が霊歌、スピリチュアルであろう。ゴスペルとスピリチュアルは、どのように異なるのか。

黒人とキリスト教との関わりは、黒人が奴隷として植民地に輸入された当初から始まる。白人は、黒人の支配のためにキリスト教を用いた。そして、独立戦争の後、多くの黒人がキリスト教のメソジスト、バプティストに改宗をした。
何故、この二つに多くの黒人が改宗をしたのか。二つの理由が考えられる。
一つは、メソジスト、バプティストの伝道師たちは、貧しい者、教育を受けていなかった者に訴えかけることができたこと。もう一つは、黒人たちが、野外集会、伝道集会などに参加することで、その集会に参加していた多くの仲間に誘い込まれたことである。当時の奴隷は、祖国、血縁者、仲間から引き離されていた。しかし、そのような集会では、多くの仲間との交流が存在していたのである。(E・フランクリン・フレイジァ『アメリカの黒人教会』溝淵寛水訳、未来社、1972、p.24)
奴隷としての厳しい状況下において、黒人奴隷には祈ることくらいしかできなかった。彼らはキリストに祈り、そしてそれがスピリチュアルとなった。黒人は、キリスト教を自己の心理的、社会的要求に適応させた。(E・フランクリン・フレイジァ『アメリカの黒人教会』、p.30)スピリチュアルでは、現在の不安からの脱出、死後について多く歌われている。奴隷としての辛い生活から逃れることのできる、天国での生活を夢見て歌っているのである。スピリチュアルは、そのような普段の生活の中から生まれてきた歌なのである。(北村崇郎『ニグロ・スピリチュアル 黒人音楽のみなもと』みすず書房、2000)
それでは、スピリチュアルとゴスペルには、どのような違いがあるのだろうか。
1958年の裁判(注1:ゴスペル曲の著作権を巡る裁判で、BMIとSESACの間で争った)で、ゴスペル業界の関係者が、証人として次のように述べている。

「ゴスペルは、がっかりしたこと、悲しさ、喜びといった普通の人間の感情を歌っており、個人の経験を歌う歌である」ナッシュビルのゴスペル出版社のベンソンの証言

「ポピュラー・ソングのサウンドで、リズミカルなメロディーをもった曲であり、教会で歌われ、宗教的な目的で歌われるもの」AMEの従業員のジェイダソンの証言(David Crawford”Gospel Songs in Court:From Rural Music to Urban Industory in the 1950s” (Journal of Popular Culture,11,1977), p.557)

また、最高の女性ゴスペル歌手の一人であるマヘリア・ジャクソンも、ゴスペルから力強いビートを感じる、と言っている。(マヘリア・ジャクソン《マヘリア 2》ソニー SRCS 5986-7、1992、解説書、p.9)
ゴスペルを生み出した20世紀前半のアメリカでの動きを、アイリーン・サザーンは次のように要約している。

黒人たちが1920年代にアメリカ中の都市へ移動し始めたとき、彼らは喜びのスピリチュアルを持ってやってきたが、田舎生まれの音楽は都会地には合わなくて、彼らの現実的な要求を満たさないと知った。結果として、教会で歌手たちはもっと彼らの感情を表現できる音楽を創造し、その音楽をゴスペルと呼んだ。(北村崇郎『ニグロ・スピリチュアル』p.283)

そして、アイリーン・サザーンは、ゴスペルとスピリチュアルの比較を次のようにまとめている。

1、ゴスペルは主観的であり、人を励ます要素を持つ。スピリチュアルはグループ的であり、聖書の中の出来事を歌う。
2、ゴスペルは、楽器の伴奏が歌と同じように重要である。
3、ゴスペルは激しいリズムで演奏され、シンコペーションと打楽器的なリズムをもつ。(北村崇郎『ニグロ・スピリチュアル』p.285)

スピリチュアルは、元々田舎で歌われていた音楽であった。そして、そのようなスピリチュアルに親しんだ黒人が都市に広がり始め、それと同時に現在の自分たちに合ったものに形を変えた。その過程において、ゴスペルが激しいリズムと共に歌われるようになった。シンコペーションや激しいシャウトが盛り込まれたのである。
彼らのゴスペルは、祈りの音楽である。現実世界の不安から逃れるためにゴスペルが歌われた。そして、彼らは音楽を通して個人の価値意識を確立し、辛い運命を克服するという希望を取り戻した。(ヨハネス・リデール『アメリカ文化と黒人音楽』福田昌作、原田宏司訳、音楽之友社、1978、p.114)それ故、ゴスペルは、多くの人の心を打つのだろう。

3.2 ゴスペルの歴史

ゴスペルの基となるものは、1850年代には現われていた。このゴスペルの源は、白人と黒人の両方にあった、キャンプミーティングなどで即興に歌われていたキャンプ・ミーティング・スピリチュアルズなどである。そして、黒人はこの白人の歌を黒人風に編曲して歌い始めた。つまり、シンコペーションやアクセントを変えたり、ブルーノート、ファルセットの使用、コールアンドレスポンスでの掛け合いなどである。
南北戦争後、フィスク・ジュビリー・シンガーズが黒人霊歌を歌い、黒人霊歌を広げた。そして、3.1でもふれたように、黒人の都市への移動と共に、ゴスペルが現われ始めた。20世紀に入ると、このゴスペルは黒人教会には必須のものとなった。そして、この頃には、トーマス・A・ドーシーなどの有名な作曲家も現われ始めた。
1920年代にはゴスペルも録音が開始され、多くの説教師がレコードを残している。ゴスペルのレコード市場は、徐々に成長し始め、それがトーマス・ドーシーによる、”Gospel Songs Music Publishing Company”の設立につながった。また、1930年代にはラジオの拡大の影響もあり、ラジオ局がゴスペルを流すことで、ゴスペルが各地に広がっていった。
当時のゴスペル・レコードの買い手は、田舎や小さな都市、もしくは都市の保守的な人たちであった。そして、買い手はあまり裕福ではなく、レコードはあまり売れなかったが、出版物は多く売れた。(David Crawford”Gospel Songs in Court”,p.552)
1940年代に入ると、ソロとクワイアによる歌が目立つようになった。1950年代には、ゴスペルの中心は、シカゴ、デトロイト、フィラデルフィア、ニューヨーク、バーミンガムに移った。また、教会だけではなく、ホールやスタジアムでコンサートが行われるようにもなった。そして、ゴスペルがポップスの世界でも広がり始め、ゴスペルのリズムやハーモニーが、ポップスにも浸透し始めた。

3.3 ゴスペルの影響

ここで第二章と同様に、ゴスペルが与えた影響を、歌手を例にとって論じてみたい。その歌手の例として挙げるのは、マヘリア・ジャクソンである。

マヘリア・ジャクソンは、最も素晴しい女性歌手の一人であり、ゴスペルの女王としても知られている。
彼女は、1911年にニューオリンズに生まれた。彼女は、幼い頃から教会に通い、聖歌隊の一員として歌っていた。この教会での経験が、彼女に大きな影響を与えた。

「振り返ってみると、南部にあった聖潔派教会から自分は大きな影響を受けた。……彼らは聖歌隊もオルガンももたず、その代わりにドラムやシンバル、タンバリン、スチール・トライアングルを使っていた。その教会では全員が歌い、しかも手を打ち、足を踏み鳴らして、体全体で歌っていた。そこには力強いビートが感じられた。奴隷時代から受けついできた、私たち民族のリズムである。力強く、表現力豊かな彼らの歌を聞いているといつも涙が出てきた」(マヘリア・ジャクソン《マヘリア 2》、解説書、p.9)

また、彼女のもう一つの影響は、マミー・スミス、ベッシー・スミス、マ・レイニーらのブルースであった。友人の家で、何時間となく彼女たちのレコードを聞いていた

マヘリア・ジャクソンは、1931年に初レコーディングを行ったが、発売元のデッカがあまり宣伝をせず、あまり売れなかった。その後、1946年になって、ようやく再レコーディングが行われ、この曲がラジオ番組で取り上げられ、いくらかの関心を集めた。
1948年に、「モア・オン・アップ・ア・リトル・ハイヤー」を発売し、大きな反響を得た。作家のラングストン・ヒューズは、著書「著名な黒人音楽家」の中で、このレコードは、「スロー・テンポのシンコペーションがジャズ・ファンの耳にとまり、宗教的理由からではなく、黒人の歌唱スタイルとして斬新だと感じたために、レコードを買う人が続出した」と、述べている。(チェット・ヘイガン『魂のうた ゴスペル 信仰と歌に生きた人々』椋田直子訳、音楽之友社、1997、p.110)
1950年代に入ると、マヘリアは大きな人気を得たが、これはまずヨーロッパの批評家が彼女の歌声を絶賛してからであった。そして、ここでもヨーロッパからの逆輸入の形で、アメリカでの人気獲得につながったのだ。
1954年に、CBSラジオでマヘリアの30分間の番組が制作され、週一回のペースでシカゴから放送された。この番組は、そこそこの聴取率を上げたが、スポンサーがつかなかった。当時は、黒人が全国ネットでラジオ番組を持つことはなかった。(チェット・ヘイガン『魂のうた ゴスペル』p.112)しかし、この番組でゴスペルを歌うことで、多くの人にゴスペルを伝えることとなった。時には純粋なゴスペルではないものを歌う時もあったが、この番組のおかげで、マヘリアは黒人と白人両方の支持を得ることができた。(マヘリア・ジャクソン《マヘリア 2》、解説書、p.21)
マヘリア・ジャクソンは、その後世界的なスターとなり、1956年にはエド・サリバン・ショーに出演、1960年にはケネディ大統領の就任祝賀パーティーに出演するなど白人の間でも人気を得た。

彼女のレコードは、ヨーロッパを介して、アメリカの白人に受け入れられた。そして、このレコードの拡大が、ポップスに影響を与えたことは、容易に考えられる。また、レコードが白人の間でも聞かれることにより、彼女は白人のアメリカから祝福された、国有財産的な存在になった。(アンソニー・ヘイルバット『ゴスペル・サウンド 改訂版』中河伸俊、三木草子、山田裕康訳、ブルース・インターアクションズ、2000、p.104)
ここでも、ブルースと同様の受容のされ方がある。ゴスペルも、一度ヨーロッパに渡り、ヨーロッパで評価をされてから、アメリカの白人に受容された点である。つまり、ヨーロッパで評価され、新しいイメージを伴って初めて、マヘリア・ジャクソンのゴスペルは、白人に受容されることができたのである。(ビルとグロリアのゲイサー夫妻は、伝統的なサザン・ゴスペルと今日のCD、ビデオの世代をつなぐ橋としての役割を担った。(チェット・ヘイガン『魂のうた ゴスペル』p.145)ビルの作曲した「ヒー・タッチト・ミー」は、後にエルヴィス・プレスリーや多くの歌手にカヴァーされた。)
続く第四章では、ブルースやゴスペルといった黒人音楽が、どのように白人音楽へ転化していったかについて述べたい。

目次

序 1 レコードの歴史 1.1 レコードの歴史についての概略 1.2 レコードがもたらした社会的影響 1.3 ラジオがもたらした影響 2 ブルースにおけるレコード 2.1 ブルースの特徴 2.2 ブルースの歴史 2.3 ...

現在、我々の周囲は多くの音楽で溢れている。その中で、もっともよく聞かれているのが、いわゆるロック、ポップスと呼ばれるものであろう。 このロックという音楽は、1950年代から歴史に登場した新しい音楽である。そして、この音楽...

第一章-レコードの歴史

1.1 レコードの歴史についての概略 レコードの歴史は、1877年のエジソンによるフォノグラフの発明から始まった。もちろん、他の研究者の中にも、録音装置について研究していた者は多くいた。しかし、ビジネスについて考えていた...

第二章-ブルースにおけるレコード

2 ブルースにおけるレコード 2.1 ブルースの特徴 序章で述べたように、ブルースは黒人の心の歌である、と簡単に定義づけることはできない。しかし、多くのブルースには、いくつかの共通点がある。そのような共通点を論ずることで...

第三章-ゴスペルにおけるレコード

3 ゴスペルにおけるレコード 3.1 ゴスペルの特徴 第二章と同様に、まずゴスペルとはどういう音楽であるか、ということに関して論じてみたい。 既に序章で述べたように、ゴスペルという言葉は、福音という意味を持つ。このことか...

第四章-黒人音楽から白人音楽への転化

4 黒人音楽から白人音楽への転化 4.1 アメリカ社会の動き 黒人音楽は、1950年代から60年代にかけて拡大を始めた。そして、その舞台となったのは、アメリカである。黒人音楽の具体的な論に入る前に、1950年代から60年...

第五章-まとめとして

5 まとめとして 今世紀に大きく発展した音楽産業。ロック、ポップスは、その発展に大きく関与してきた。そして、ロック、ポップスの基礎となったのが、ブルース、ゴスペルといった黒人音楽である。 しかし、20世紀の初めに誕生した...

参考文献

参考文献 David Crawford”Gospel Songs in Court:From Rural Music to Urban Industory in the 1950s”,Journa...

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