第五章-まとめとして
5 まとめとして
今世紀に大きく発展した音楽産業。ロック、ポップスは、その発展に大きく関与してきた。そして、ロック、ポップスの基礎となったのが、ブルース、ゴスペルといった黒人音楽である。
しかし、20世紀の初めに誕生した黒人音楽は、そのままの形で白人に受け入れられることは少なかった。彼らの曲の内容が拒否され、彼らが黒人であったため拒否された。
しかし、第二次世界大戦の終了と共に、黒人音楽に変化が生じた。黒人音楽がR&Bと名を変え、アメリカではなくヨーロッパにおいて受容され始めたのである。そして、特にイギリスでは、ブルースに影響を受けた多くの音楽家が誕生した。
何故、イギリスにおいて、ブルースが受け入れられたのか。
一つには、イギリス社会の衰退が挙げられる。1950年代において、イギリスは、経済的にも政治的にも下降状態にあった。労働者階級の青年層は、雇用の減少と階級社会の閉塞状況に不満を募らせていた。そして、このような集団の熱狂的支持をあつめたのが、ブルースでありロックであった。
もう一つの理由として、イギリスでは黒人に対する差別がなかったことが挙げられる。そのため、彼らは、黒人音楽に抵抗を持たなかった。
そして、ゴスペルもまた、ヨーロッパからの評価を受けて、アメリカの白人に受容されることとなった。ゴスペルはその後、よりポップスの要素を加え、キャッチーなメロディーを伴ったソウルへと変化し、世界中の人々に聞かれるようになった。
黒人音楽が受容される過程において重要な役割を担ったのが、ヨーロッパであった。
アメリカにおいては、人種差別が黒人音楽の壁となった。しかし、ヨーロッパではその壁はなかった。ヨーロッパで正当な評価をされた黒人音楽が、その後アメリカへ渡り、アメリカの白人に受容された。黒人音楽は、レコードという形をとって、ヨーロッパへと「転回」し、そして白人音楽に「転化」したのである。
しかし、アメリカは、ヨーロッパから逆輸入された黒人音楽を、そのまま黒人音楽として受け入れたわけではなかった。70年代に入ると、ブルース市場は衰退し、逆に白人のロックが、更に勢いを強めた。
つまり、アメリカは、黒人音楽を黒人音楽という形で受け入れなかった。国内においては、エルヴィス・プレスリーといった白人によって演奏されることで、そして国外からの影響として、ヨーロッパの白人に評価されたり、ヨーロッパの白人によって演奏されることで、初めて受け入れることができた。つまり、白人音楽というイメージによって、初めてアメリカは黒人音楽を受容できたのである。
さて、この論文では、黒人音楽がヨーロッパを通して白人音楽へと変化した過程について述べてきた。しかし、黒人音楽といいながらも、ブルースにより重点が置かれ、ゴスペルについての考察が不十分に終わったことは否めない。この点は、反省すべき所である。
しかし、今までは、時代ごと、ジャンルごとに議論されてきた感のある黒人音楽(例えば、戦前のカントリー・ブルース、戦前のゴスペルといったような区分の議論)を、より大きな流れで捉えることができたのではないだろうか。ゴスペルに対する研究を今後の課題として、今回の論文を終えたい。